今日のダーリン
糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」の毎日アップされる「今日のダーリン」から転載。
今、同じように考えていたところだったのでズバズバ刺さりました。
考えていたと言うよりは、自分は地球環境の今後についてとか偉そうに言いながら結局何もしていない方の人だなぁってことを突き付けられた感じです。。
地球環境の今後について、この国の行く末について、口角に泡をためて大声を出すのは、あんがい簡単である。ただ、言ってればいいからだ。
家族の不仲がどうにもならなくなったとか、子どもが病気になったとか、職を失ったとか、店がつぶれたとかという問題については、声を出すより先に、どうにかしなくてはならないので、少しも簡単ではないし解決の道を見失うことだってある。
新聞の一面に出ているようなことについて、あれこれ語っていると、なんだかむつかしそうで高級そうなのだけれど、考えようによっては、誰にでもできる簡単なことだ。家のことやら、近所の問題があったとき、しっかりと解決することは、実にたいしたことである。
近いところのことを、ちゃんとできる人になるには、どうしたらいいというような勉強の方法もコツもない。じぶんの頭を使って、やけにならずに、できるかぎり悲しむ人のいないように、誠実にやることだけなのだろう。それができるのが、ちゃんとした人なのだと思うのだ。
そんなことを言っているぼく自身が、ちゃんとした人であるとは、決して言えない。遠い距離のこと、遠くて見えないおおぜいの人たちとは、曲がりなりにもつきあえているようにも見えるが、果たして、近いところでちゃんとした人であるか。
時代劇のころだって、現代だって、なんだかでかそうなところを舞台にしている人たちや、天下国家を論じたがる人たちのなかには、あんまりちゃんとした人はいなかったという気がする。
無数の無名のちゃんとした人が、これまでも、いまも、たくさんいることこそが、いい社会なんじゃないかと思う。ぼくの好きで尊敬している人たちは、たいてい、「ちゃんとしようとしている人」だったりする。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。いまの世の中、ちゃんとした人は、いーっぱいいますよね。