エンドレス
「オワコン」と言う言葉が好きじゃない。
散々楽しさを享受しておきながら、飽きた途端に「終わったコンテンツ」としてレッテルを貼りあざけ笑う。
どんなジャンルであれ、それを知恵を絞って生み出した人間がいるのに。
そういう人たちに対しての敬意や感謝の気持ちも何もなく、ただ外側から、上からの目線で笑う。
そういうメンタリティが好きではない。
(もちろん、そこにより良いものにしていくための自身の意見やアイデアがあればそれは真っ当な批評として成り立つとは思うけど。)
日々自分の頭に流れ込んでくる情報の洪水の中にはそういった心ない言葉もたくさん見受けられる。
それを見るたびに自分に対しての批判ではないけれど、なんだか心が荒むような、傷を付けられるような気持ちになる。
なんとも言えない、ふがいない、さみしい気持ちになる。
でも、もしかしたらそういう風に他者の悪口を言う人はどこかで自分も同じように陰口を言われているのではないかと怯えているのではないかななんてことも思ったりする。
だから、自分がやられる前にやる、やられたらやり返すのではないかと。
でもやっぱり、なんだかその連鎖はさみしい。
そんなことをボンヤリ考えながら歩いていた帰り道。
イヤフォンからこの音楽が流れて、胸を掴まれる。
サカナクション - エンドレス(MUSIC VIDEO) - YouTube
歌詞を改めて見返してみて、まさにそういうことを歌っているのだなぁと激しく共感。
http://j-lyric.net/artist/a04d6c9/l0264b2.html
で、色々辿っていたらここに行きつきました。
http://natalie.mu/music/pp/sakanaction03/page/2
(ページ下部の方の内容です)
そこには苦手な人も得意な人もいるし、誰かの陰口を叩く仲間もいるし、陰口を叩かれることもあるし、自分が誰かの陰口を叩くこともあるかもしれない。そうやってひっつきあいながら生きていくのって、社会の成り立ちとして当たり前なんだけど、みんなどこかで疑問を持っていると思ったんですよね。──無意識でも。うん。その成り立ちに終わりがあるのかと思ったら、僕はないと思った。でも、自分の中で終わらせることはできるなと思った。自分で自分を指差すことで。「自分はどうなの? 自分はどうするの?」って、自分で自分を指差す。僕はミュージシャンで、人に何かを啓蒙したりする存在ではないと思うけど、自分の考えを言うことはできるなと思ったんですよね。それを「エンドレス」の歌詞で言えたことがすごく大きかった。
「自分はどうなの? 自分はどうするの?」って、自分で自分を指差す。
あぁ、あぁ、なるほど。
山口君は明確な意志と意図をもってそれを切実に歌にしたのだなぁ。
すごいなぁ。
本当に自分の身を削って生み出しているんだなぁ。
と、なんだかいたく感銘を受けたと共に、なんだか勇気をもらいながらも、背筋を伸びる思いがしたのでした。
人がどーこーじゃなくて、結局自分がどうするかだよな。