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横浜在住サラリーマン36歳。娘と猫のミウと音楽の話などを中心に駄文を垂れ流します。

あの頃、そして今。

今から15年くらい前。
 
大学生の頃、ひょんなことから父親から1台のカメラを譲り受けた。
別にそんなに興味があった訳ではなかったけれど、それでもいつも手にして
目に映るあらゆるものを撮りまくった。
空、花、もの、景色、そして人。
怖いもの知らずだった。

ある日、そんな自分の撮った写真が人づてに伝わって、
ちょっとした写真のバイトをした。
そこで出会った人から言われた一言。
「いい写真撮るんだから、せっかくだからサイト作ってみんなに見てもらえばいいんじゃない?」
 
単純な自分は感銘を受け、そのアドバイスを素直に実行する。
本屋でよく分からないけどとりあえず本を買って、独学でHTMLを勉強して、四苦八苦しながらサイトを立ち上げた。
まだブログやSNSなんてものがなかった頃の話。
まだダイヤルアップでギーコギーコ言いながらネットに繋いでいた時代。
 
カメラだってまだフィルムが主流だし、ネットに載せるために1枚ずつスキャンして色調整してトリミングしてデータにしていった。
 
そこに自分の日々を綴った日記と、写真、そして掲示板を付け、毎日向かい合った。
今思い返すと恥ずかしくなってしまうくらい赤裸々な、でも何も衒うことなく素直に出てきた言葉や写真に対し、会ったこともない見知らぬ人たちが感想をくれるようになる。
それが嬉しくて、また新しいアクションを起こす。
その繰り返しで始めは小さかったサークルが徐々に大きくなっていく。
 
思えば、それが自分にとっての「自己表現」と「人とのコミュニケーション」の原体験だったのだと思う。
世間体やクオリティなんて気にせず、拙いながらも自分がやりたいことを自分のやりたいようにやってみる。
怖いものなんてなかった。
自信に溢れていた。
(根拠なんてないのにね)
 
その数年後、SNSが登場。
写真、音楽、ファッション、、
全てが同じように繋がらなくても、どこか少しでも接点があれば、そこだけでゆるく広く繋がれるこのツールによって、 これまでの自分のスタイルは更に加速した。
ネットを媒介に、時にリアルからリアルに、どんどんと自分の世界が広がっていった。
すごい楽しかった。
興奮していた。
そこで出会った多くの人たち、そこで得た多くの経験、それらが今の自分の糧になっている。
自分の人生を彩っていて、離れていてもどこかでみんなと繋がっている感覚がある。
 

そして今。
あの頃と比べると環境は激変している。

SNSは多様化し、スマホやガジェットにより24時間ネットワークとコネクトしながら生活している。
ツールのスペックも高度化が進んだ上に手軽になり、
誰もが表現できる、「表現者」になれる時代になった。
そして同時に誰もが「批評家」や「監視員」になってしまったような気もする。
ものを生みだすことに対して、思いを吐き出すことに対して、油断ができなくなった。油断っていうと語弊があるか。なんと言うか気軽にできなくなってしまったような気がする。
迂闊なことすると叩かれるんじゃないかってビクビクしてしまうような空気を感じる。
いや、それはただ自分が社会人になって、所帯を持って委縮してしまっただけなのかも知れない。
 

そして何より、自分自身が自分の好きなことを見失ってしまった。
何がやりたいのか?
何ができるのか?
すっかり自信を喪失してからもう数年経っている。
仕事にも、遊びにも、あらゆることに対して。
 
それじゃあダメだよな。
それじゃあダメだよな。
そう思いながら時間だけが過ぎていく。
歳だけ取っていく。
 
環境が変化して何でもできる時代になったからこそ、だからこそ
何をやるか?
何ができるか?
が重要な時代。
 
だけど、そんなことにビビらなくていい。
別に大したことができなくてもいい。
自分が好きなこと、やりたいこと、やれることをもう一度純粋に見つめ直して、
自分と対話すること、そしてその過程で自分をもう一度知ることが何より大事なんだと思う。
今はそう思ってる。
 
 
今はまだ「あの頃は楽しかったな」なんて、過去を未練がましく引き摺っている自分がいるけれど、「取り戻す」とは違う、また新しい自分の生き方を構築したい。
そのための一歩として、こうやって今自分はまた自分の気持ちを文章にしているんだと思う。
 
三日坊主で終わるかも知れないけれど、それが気付けただけでも収穫かもしれないな。