金曜日の夜の徒然は実は自分の本質が1番剥き出しになる件
ただいま金曜の夜、深夜3時半。
部屋で1人ビール飲みながらウダウダしてて超楽しんでます。
至福。
ほんと、「至福」ってこういうことかも。
色んな幸せの形あるけどね。
BGMは10cc。
なぜなら来週「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」観に行くから。
地味に超楽しみ♪
(この「地味に」って表現、なんか嫌だ。使っといてあれだけど)
なんか今日はアハ体験(だっけ?)の連続です。
今日はとか言ってるけど、夜帰宅して1回寝落ちして23時くらいに目覚めて、お風呂入ってビール飲みながらの話しだけどね。
ブログを再開して小まめな更新を宣言してからというもの、最近はブログに書くネタを常に意識してたりしたんだけど(もちろんそれも大事)、今日はこの酔っ払った勢いで色々書いてみますね。
んと、まず最初は。
えー。
子供ができました。
今、6カ月。来年1月末に産まれる予定です。
あー、言えてスッキリした!
別に誰が読んでるでもないブログなので気が楽だなぁ。
なんて言うの?王様はロバの耳ーっ!って叫ぶ木の穴みたいな。
とにかく無事に産まれてくれればと思う日々です。
高齢出産なこともあり、ちゃんと産まれてくるかすごく不安だし、社内外含め余り積極的には言ってないんだけど、そうは言ってもやっぱりそれに伴い自分もすごい変化してて。
その変化をやっぱり自分は外に出したい人間なのだなぁと改めて思った次第です。
なんだろね。
自分がこんなに変わるとは思っていなかったのだけれど(これからもっと変わる予感もある)、すごく色々な事象に対して感覚が鋭敏になってる気がします。
傍から見たら全然変わってないけど、自分の中では変化の胎動を強く感じてます。
やっぱりとても大きな括りで「生命」ってことに対してすごく考える機会が増えたと思うんだよね。
街行く子供や妊婦さん見ても、今までと違った視線で見てしまう。(とにかく幸せを祈ってしまう)
あと「家族」ってものに対してもすごくすごく考える機会になったなぁ。
脈々と血が繋がって自分があることって本当に奇跡なんだなぁとか、
ダメダメで不完全な人間だけれど、一応ここまでの人間になるまで育ててくれた親への感謝しきれない感謝の気持ちとか、親に対する労わりや恩返ししなきゃなぁとか、全然できてないなぁとかの気持ちとか。
とても逆説的なんだけど、「命の始まり」を意識するが故に「命の終わり」まで考えたりします。あんまり考えたくはないけれど自分の親の最期とか。
それとか「緩い繋がり」ってこれからますます大事になっていくなぁとか。
色んな人の力を借りてこれまで生きてきたし、これからもっとそうなるんだろうなぁとか。
ギブ&テイクって言うけど、自分は何か誰かにテイクできているのかなぁとか。
友達って大事だなぁとか。
既に子供がいる友達や会社の先輩に対しては、子育てしつつ仕事やプライベートをこなしていることに対しての敬意を。(これは実際に生まれたらもっと感じるのかも知れないけど)
今なら違うステージで色んな人と色んな話しできるかも、とか。
あとは恋愛とは違った意味ですごく奥さんのことが愛おしく思えていて。
まぁ本人には言わないけど。(恥ずかしくて言えない。言った方がいいことは分かってるよ)
やっぱり、自分、奥さん、産まれてくる子供、セットで幸せになりたいなぁって思う。(もしや、ここは「幸せにしたい」って言うところ?)
もちろんケースバイケースで誰かが我慢することとかあると思うけれどさ。
子供が幸せになるためにはまずは奥さんが満たされていないといけないと思うし、それには自分が充実してないといけないし。でもそれって単純な矢印の話しではなくて相互に影響し合うものだしとか。
あとはやっぱりそのために自分は社会で戦う人間としてどうすべきかってことにも直面させられる。
この稼ぎでいいのか?とか、この働き方でいいのか?とか。この会社で自分の未来はあるのか?とか。(あとは自分としてはそれでいいのか?とかね。)
考え出したらキリがないけれど。。
あとは「社会で戦う」って言うけど、「戦う」でなく「一緒にやっていく」ものとしての「社会」って思えない今の日本に対しての憂いや、もっとよくしたいなぁって気持ちとか。
回り回っての地域貢献したいって気持ちとか。
あとはまぁお子ちゃまな考えではありますが、子供ができることに伴って失ったり手離したりすることがあることに対しての名残惜しさや、まだ踏ん切りつかないあれこれとか。
(子供できたらそんなにライヴに行けなくなるなぁとか、今持ってるヌード写真集とかはブックオフに売らないといけないのかなぁとか・・)
今まではリスクを取らない範囲で好きにやってきたし、やっぱりすごい重いところは誰かに責任を背負わせた上にその代償に縛られたりもしてきたけれど、
これから生きていく上では、自分として背負うもの(奥さんや子供の平和な生活)がありつつ、やっぱり結局誰も自分の人生には責任取ってくれるわけでないから、それならリスク取りながらも思考停止させず自分が信じた道を行くしかないのだなぁと言う恐れや覚悟を振り切った生き方が必要なのなぁと考えたりします。昔より強く。
会社にあれこれ言われて、その通りに従ったって、最後の最後まで面倒見てくれるわけじゃないもんね。その見極めが本当に大事だなぁと思う。
(まぁ、そーゆーセンスないんですけど・・)
あとはやっぱり子供にとって自分がお手本と言うか、サンプルとして大きな存在になるのだなぁと思うと、自分のこれまでの生き方や価値観を見つめ直す機会にもなるよね。
正直ヤベェ!こんな子供のままでここまで来ちゃった!って感じです。。
あと自分としての確固たる指針がないと、誰も幸せにできないなぁとか。
自分1人だけならナヨナヨした生き方でも楽しいし全然いいんだけどさ、誰かと一緒に生きていくとなるとそういうものが必要になるよね。
あとなんだろ。
やっぱりリアルに色々お金掛かるんだなぁとか。
出産だけでなく、引っ越しとかするんですよ。
来月、子育ての負担減らすべく実家の最寄駅まで出戻ります。
それ関連だけで100万弱掛かるもんね。
ビバ500円玉貯金!(おれはこれで通算200万くらい貯めました)
学芸大学ともお別れだなぁ。
再び生まれ育った大倉山へ。
でさ、やっぱり学大に比べるとほんと街のエネルギーみたいなものが全然弱くて(少子高齢化をつくづく痛感する)、正直戻りたくない気持ちもありつつだったりはするものの、結構若い人が立ち上げたカフェとかが自分が離れた間にできたりしてたみたいで。
そういう小さな息吹を感じてちょっと勇気出たり応援したい気持ちになったりしてます。
やっぱりさ、1人でどうこうしてもどうにもならなくて、そう人たちが束になって大きなうねりと言うか、空気みたいなものって産まれると思うんだよね。
実はちょっとそこに携われないかなんて考えたりしてます。
いわゆる地域貢献みたいな。
やっぱり住んでる場所に誇りを持ちたいし、それが元からあればいいけど、なければ作らないといけないしね。
あっ、なんかこの辺は全然自分で意識してなかったけど、今この文章書きながら自分の深層の気持ちを探り当てた感じ。
あぁ、これ結構自分のモチベーションの源になるかも。
ちょっとワクワクしてきた。
ってな感じで明け方5時を過ぎてしまったのでそろそろ終わりにします。
(眠くなってきた・・)
と、いうことで、これを読んだ方で子育て関連のいらなくなったグッズがある方はぜひお下がりをお譲りください。
あと何よりアドバイスいただけると大変助かります。
いやはや、そういう意味で「LIFE」って単語はすごいね。
「命」「人生」「生活」全てを一言で包括してしまう単語だもんね。
日本語は素晴らしいと誇りに思ってるけれど、この単語だけは本当に敬服します。
(そしてこの感覚はこれをアルバムタイトルにしたオザケンにもつながったりする・・)
では、空が明るくなってますが、
おやすみなさい。